第七十一段
2022-02-23


なおまた、あまりみじかい旧訳では、孫行者(そんぎょうじゃ)、猪八戒(ちょはっかい)、沙和尚(さおしょう)その他の性格がはっきりせず、ことに孫行者にもおとらない立役者(たてやくしゃ)の、八戒の性格が、なおざりになっています。シェイクスピーアは、一万人の心をもっていたとかで、たくさんの人間の性格の型(かた)を、創造しましたが、そのなかでも――太っちょで、大食らいで、うそつきで、無類のこっけい家(か)で、人間のあらゆる欠点をそなえていながら、しかもどうしてもにくめない、あのフォールスタッフという人物が、一ばんの傑作であるとか、言いますが、このフォールスタッフに好一対(こういっつい)のものが、猪八戒であります。八戒こそは「西遊記」中で、いや中国の全古典小説中で、もっとも特色ある性格ではないかと、わたくしはひそかに信じています。なお孫悟空にしましても、原本で読みますと、いわゆる神通広大(じんずうこうだい)で、ただ強いばかりではなく、「仁(じん)も義(ぎ)もあり」、寝てもさめても、その師(し)を思う真情(しんじょう)にいたっては、じつに切々(せつせつ)たるものがあり、わたくしどもも、つい涙ぐまされてしまうくらいであります。
以上、くどくどとのべてまいりましたが、わたくしはこんど、新しく本書を編訳(へんやく)するにあたりまして、すこしでも旧訳の欠(けつ)をおぎなおうとし、また量もかつかつではありますが、その大作の特色を、うかがうに足るだけの分量とし、なるべく会話体を生かし、ユーモアや、しゃれはぜんぶとりいれ、全編いたるところに出てくる、格言や、興趣(きょうしゅ)ある俗諺(ぞくげん)の多くをもとり入れることにいたしました。それで、以前の邦訳(ほうやく)の「西遊記」を読まれた方でも、もいちど本書をひもといて、――じつに「西遊記」とは、こんなに内容の豊富なものであったか――と、西遊記観(かん)を、一新してくださる方があれば、わたくしの満足はこれにすぎません。(以下略)


1955(昭和30)年刊の『西遊記』より。編訳した伊藤貴麿(いとうたかまろ、1893年-1967年)の文章。この編集・翻訳の著作権は消滅している筈だから、閑に飽かせてそのうち中身もアップするかも知れない。

……「何を探していたか」という難問は未だ解けない。

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