金毛の羊皮 2
2022-07-08


(二) 勇士ヤソンの生立(おいたち)

 ペリオン山の裾が南へ走って、パガサイの入江に入る処に、海に臨んだイオルコスの美しい市(まち)が立っていた。このイオルコスもミニヤ族の建設した市の一つで、その王をアイソンと呼んで、アタマスの子フリクソスとは、再従弟(またいとこ)に当っていた。アイソンの異父の兄弟にペリヤスという者があった。ペリヤスはアイソンの母が以前海神ポサイドンとの間に生んだ子であったが、生れると直ぐ山中へ捨てられた。其処でこの不幸な赤児(あかご)は、荒々しい野馬(やば)の蹄にかかって、死ぬばかりになっていた所を、一人の牧羊者(ひつじかい)に拾われた。この時赤児の顔は痣(あざ)で真黒になっていたので、牧羊者(ひつじかい)はペリヤス(黒痣(くろあざ))という名を付けて、育てていた。生長するに従って、ペリヤスは、気の荒い、無法な男になって、さまざまな悪事を働いたが、終(つい)にはアイソンの王位を奪い、海に臨んだイオルコスの市へ入って、ミニヤ族の勇士等(ら)を支配していた。
 ペリヤスの為に国を逐(お)われたアイソンは、王子ヤソンの手を引いて、ペリオン山に登り、カイロンの洞窟を訪れて、ヤソンをこの賢い半人半馬(ケンタウル)の手に託した。カイロンは、青空の下に棲むどんな人よりも聡明な心を持っていると言われた神人(しんじん)で、その洞窟はギリシャの諸方から托された王子等の学園であった。カイロンの弟子には、ギリシャ第一の英雄ヘラクレスもいる。詩人の王と讃えられたオルフェウスもいる。医術の祖と言われるアスクレピオスもいる。トロヤ戦争の大立者(おおだてもの)となったアキレスもいる。アキレスの父のペレウスもいる。苟(いやし)くも不朽(ふきゅう)の名を伝えたギリシャの勇士で、一度はこのペリオン山の洞窟へ足を入れなかった者はない。カイロンは世界中のあらゆる出来事を知り、この世のあらゆる知識に通じていた。ギリシャの勇士は、彼の抱(いだ)く黄金の竪琴から、初めて音楽の教育を受け、彼の背中へ乗って、初めて馬へ乗る事を習った。
 ヤソンもまたペリオン山の高原で、新鮮な山の空気を吸って、強い、賢い、樸直(すなお)な青年になった。それから十年の月日が過ぎて、或る日ヤソンはペリオン山の絶頂に立って、四方を眺めていた。彼の目は先ずラピト族が馬を放して置くテッサリヤの平原に向った。それからボイベの湖を眺め、ペネウス及びテンペの銀のような流れを追って、マグネシヤの岸に聳え立つ連山に目を移した。神々の棲所(すみか)になっているオリムポスの山も、テンペの谷を隔てて、それと向い合ったオッサの峰も、今自分の立っているペリオン山も、皆この連山の中にあった。次に彼は目を東に転じて、果てもなく拡がっている美しい青海(あおうみ)を見渡した。それから視線を南の方に移して行くと、丁度ペリオン山の裾が、陸で包まれた美しい入江の波に洗われるあたりに、緑の林の中から、白壁(しらかべ)に取り囲まれた一つの市(まち)が現われて来た。それは海に臨んだイオルコスの市であった。その時彼の目は吸い寄せられたように、その白壁の中の家々や、その周囲に連なる美しい野や、林の中から立ち騰(のぼ)る青い煙を、暫時(しばし)の間じっと見詰めていたが、やがてほっと息を吐(つ)いて、側(わき)に立ったカイロンの顔を眺めた。
「先生、私をあすこへ遣(や)って下さい!」
 その時カイロンの柔和な目の中(うち)には、不安の色が漂った。彼は最早その弟子を手放さなくてはならない時が来たことを知っていた。
「鷲の子は羽が生えそろえば、巣立たなければならない!」と言って、カイロンは嘆息した。「海に臨んだイオルコスへ、お前は行くのか? それもよかろう。だが行く前に、二つの事を約束して行かなくてはならない。」

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