二九、間一髪
すべてがルコックの予想したとおりであった。
ロオランスは死んだのではなくて、両親へあてて自殺をすると書きおくった彼女の手紙は、一つの偽計(トリック)に過ぎなかった。その実(じつ)、彼女は、米国人ウィルスンと変名している伯爵とともに、サン・ラザール街の隠れ家にひそんで、ウィルスン夫人となっていたのであった。
あんなに無邪気で可愛い娘さんだったロオランスが、どうしてこんな惨めな、草にも木にも心置く不安な身の上になってしまったのか。これも運命の果敢(はかな)さというものであろう。
伯爵がパロオのもって行った手紙を読んで、あたふたと出て行った後、その晩は門番のほかの召使達もみな外出してしまったので、哀れなロオランスは独り留守居(るすい)をしながら、しみじみと過ぎこし方の思い出を辿っていた。
何だか、呼吸(いき)をつく暇もなく、嵐に吹きまくられて来たような気がするのであった。ひょっとするとこれはみんな悪い夢で、今にも、あの懐かしいオルシバルの邸の、自分の室(へや)に目が醒めるのではないか、と思ったり、一体こんな風に人目を避けて、日蔭者の生活をしているこの身が、ほんとうの自分であろうか、と疑ったりした。そして、それを思えば思うほど、両親や、妹や、故郷の親しい人々に対する思慕の情が、涯しなく募るのであった。
彼女は書斎の長椅子にもたれて、心ゆくまで泣いた。たった二十歳で損なわれてしまった彼女の人生と、永久に失われた処女の誇りと、そして二度とふたたび返って来そうもない、あの華やかだった希望を泣いたのである。
と、暫く経って、だしぬけに戸が開けられたので、彼女は慌ててハンケチを顔にあてて、涙をかくしながら起(た)ちあがると、一人の見知らぬ男が、閾ぎわで丁寧に腰をかがめながら、入って来た。
伯爵から、二人を狙っている者があるから気をつけなければならぬと注意されていた矢先なので、その瞬間に彼女は、ハッと思うと、何だか恐ろしい予感とともに、身ぶるいがした。
「貴方は誰方(どなた)ですか。何の御用ですか?」
少し慳貪(けんどん)に問いかけた。
入って来たのは、ルコック探偵だった。彼はそうした詰問を予期していたので、何もいわずに、一歩側面(わき)へよると、そこにプランタさんの姿が現われた。
「あら――貴方もいらしたんですか――」
ロオランスは驚きと羞(はずか)しさで、殆(ほとん)ど消えも入(い)りたい気持だった。
プランタさんは彼女よりももっともっと感動したらしいが、無言のまま、彼女の窶(やつ)れはてた顔を見まもっていた。
「わたしを取押(とりおさ)えにいらんしたんでしょう。あんな手紙を書いたって、どうせ見つかるにきまっているから、厭(いや)だって申しましたけれど、エクトルが肯(き)かないものですから――わたしはもう、誰方(どなた)にも顔向けが出来ません――いっそ死んでしまいとうございます。」
いきなりそんなことを云いだしたので、プランタさんは慌ててなだめようとすると、ルコックが遮って、
「マダム、我々は伯爵を取押えに来たのです。しかしあなたは罪がないから、御安心なさい。」
「えっ、エクトルを? どうしてですの?」
「伯爵には、容易ならぬ犯罪があります。」
「そ、それは何かの間違いでしょう。」
セ
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