(略)
「いや黒君御目出度(おめでた)う。不相変(あひかはらず)元気がいゝね」と尻尾を立てゝ左へくるりと廻はす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何(なに)御目出度(おめでて)え? 正月で御目出たけりや、御めへなんざあ年が年中御目出てえ方だらう。気をつけろい、此(この)吹い子の向ふ面め」吹い子の向ふづらといふ句は罵詈の言語である様だが、吾輩には了解が出来なかつた。「一寸伺うが吹い子の向ふづらと云ふのはどう云ふ意味かね」「へん手めえが悪体をつかれてる癖に、其訳を聞きや世話あねえ、だから正月野郎だつて事よ」正月野郎は詩的であるが、其意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考の為め一寸聞いて置きたいが、聞いたつて明瞭な答弁は得られぬに極まつてゐるから、面と対(むか)つた儘(まゝ)無言で立つて居つた。聊か手持無沙汰の体(てい)である。すると突然黒のうちの神さんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭がない。大変だ。又あの黒の畜生が取つたんだよ。ほんとに憎らしい猫だつちあありあしない。今に帰つて来たら、どうするか見て居やがれ」と怒鳴る。初春の長閑(のどか)な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代を大(おほい)に俗了して仕舞う。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたい丈怒鳴つて居ろと云はぬ許りに横着な顔をして、四角な顋(あご)を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今迄は黒との応対で気がつかなつたが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになつて転がつて居る。「君不相変(あひかはらず)やつてるな」と今迄の行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒は其位な事では中々機嫌を直さない「何がやつてるでえ、此野郎。しやけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊(みく)びつた事をいふねえ。憚りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆(さ)かに肩の辺迄掻き上げた。「君が黒君だと云ふ事は、始めから知つてるさ」「知つてるのに、相変らずやつてるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻りに吹き懸ける。人間なら胸倉をとられて小突き廻される所である。少々辟易して内心困つた事になつたなと思つて居ると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちよいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよ此人あ。牛肉を一斤すぐ持つて来るんだよ。いゝかい、分つたかい、牛肉の堅くない所を一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣の寂寞を破る。「へん年に一遍牛肉を誂へると思つて、いやに大きな声を出しやあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終へねえ阿魔だ」と黒は嘲りながら四つ足を踏張る。吾輩は挨拶の仕様もないから黙つて見て居る。「一斤位ぢやあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いゝから取つときや、今に食つてやらあ」と自分の為に誂へたものゝ如くいふ。「今度は本当の御馳走だ。結構々々」と吾輩は可成(なるべく)彼を帰さうとする。「御めつちの知つた事ぢやねえ。黙つてゐろ。うるせえや」と云ひ乍ら突然後足で霜柱の崩れた奴を吾輩の頭へばさりと浴びせ掛る。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払つて居る間に黒は垣根を潜つて、どこかへ姿を隠した。大方西川の牛(ぎう)を覘(ねらひ)に行つたものであらう。
(後略)
・「正月野郎」と言う言葉は、これ以外に読んだ記憶も実際に聞いた記憶も無い。個人的には漱石のオリジナルだと思うが、寄席などで,耳にしたフレーズの借用かも知れない。
「松の内」の具体的期間は時代や地方に依って異なるようだ。「あなた待つのも、松のう〜ち〜」なんて歌もあった。
それにしても、演芸番組からコミック・バンド(所謂「ぼういず物」など)を滅多に見なくなった。せめて初席くらい音曲物が多くてもと思うのだが。
セ
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