科学小説の鬼 〔宝石、昭和二十八年八月号〕
――S・Fの勃興・その歴史
附・ヴェルヌ邦訳書誌
一月ほど前、(二十八年五月頃)突然、神戸から一人の青年が訪ねて来た。青年といっても、或る会社の社員で、英語ができるので、渉外の仕事をしている人のようであった。実は旅券が思ったより早く貰えたので、明日横浜からの船で、アメリカへ立つのですが、立つ前に、日本のその方面の方々に会って、よくお話を伺っておこうと考えていたのに、その暇がなくなってしまいました。今日一日しかないのです。それで先ずこちらへお伺いしたのですが、私はアメリカの科学小説同好クラブから招かれて、二三ヶ月各地のクラブを廻ってくるつもりです。それについて、向うの会合で、日本の科学小説の現状についてスピーチするように頼まれていますので、何か材料になるお話を伺いたいのです、という話であった。
どうしたわけで、そういうクラブから招かれたのですかと訊くと、彼は、向うのクラブから来ている手紙を何通か取出して、でたらめでない証拠を示しながら、実はこういうわけです、私は探偵小説は余り好きでありませんが、S・F(サイエンス・フィクションの略号)は大好きで、アメリカのいろいろなS・F雑誌を読んでいるのですが、それらの雑誌の読者欄へ、たびたび投書をして、幾つかの雑誌に私のS・F礼讃の短文がのったものですから、日本にこういう熱心家がいるということを、同好者クラブの人達に知られ、シカゴのS・Fクラブの本部から招待状が来たというわけです。往きの船賃は自弁ですが、先方での旅費、滞在費、帰りの船費は向う持ちで、その上、自動車を一台くれるそうです。それでアメリカ各地を乗り廻した上、帰りには持って帰ってもいいというのです、とホクホクしている。
どうも少しうますぎるような話だが、向うから来ている手紙を見ると、嘘でもないらしい。そこで、私は、日本にはポピュラー・サイエンス風の通俗科学雑誌は幾つかあるけれども、科学小説の専門雑誌というものは一つもない。古くから科学ものを出版している誠文堂新光社が、戦後「アメージング・ストーリーズ」を飜訳して、叢書にして出したが、売行きが充分でなく中絶してしまった。
外国作家では、明治初期にはフランスのジュール・ヴェルヌが大いに歓迎され、明治から大正にかけてはイギリスのH・G・ウェルズが飜訳愛読されたが、そのほかには、これという作家も知られていない。日本人ノ作家では押川春浪が子供相手の科学小説めいたものを書いたことがあるけれど、専門ではなかったし、新らしい所では、われわれの仲間の海野十三が大いに科学小説を書き、現在では橘外男、香山滋などがそういう傾向の作家だが、科学小説雑誌もなければ、同好者クラブもなく、日本ではどうもS・Fは振わないようですね、と答えるほかはなかった。そういうわけだから、一つ香山滋君を訪ねて見られたらどうかと勧め、青年もその気になって、同君を訪ねた模様であった。
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