第九十九段
2022-05-19


「幻談」より  幸田露伴

 斯(か)う暑くなつては皆さん方が或いは高い山に行かれたり、或いは涼しい海辺に行かれたりしまして、さうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送らうとなさるのも御尤(ごもつと)もです。が、もう老い朽ちてしまへば山へも行かれず、海へも出られないでゐますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらゐに満足して、無難に平和な日を過して行けるといふもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極(ご)くいゝことであります。深山に入り、高山、嶮山(けんざん)なんぞへ登るといふことになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代りまた危険も生じます訳で、怖しい話が伝へられてをります。海もまた同じことです。今お話し致さうといふのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます。

 それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットといふ処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まつて以来最初に征服致しませうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折つて、さうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス登攀記(とうはんき)の著者のウィンパー一行でありました。その一行八人がアルプスのマッターホルンを初めて征服したので、それから段々とアルプスも開けたやうな訳です。
 それは皆様がマッターホルンの征服の紀行によつて御承知の通りでありますから、今私が申さなくても夙(つと)に御合点(ごがてん)のことですが、さてその時に、その前から他の一行即ち伊太利(イタリー)のカレルといふ人の一群がやはりそこを征服しようとして、両者は自然と競争の形になつてゐたのであります。併(しか)しカレルの方は不幸にして道の取り方が違つてゐた為に、ウィンパーの一行には負けてしまつたのであります。ウィンパーの一行は登る時には、クロス、それから次に年を取つた方のペーテル、それからその悴(せがれ)が二人、それからフランシス・ダグラス卿といふこれは身分のある人です。それからハドウ、それからハドス、それからウィンパーといふのが一番終(しま)ひで、つまり八人がその順序で登りました。

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