下りては来ましたが、つい先刻(さつき)まで一緒にゐた人々がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらはれて終(しま)つたと思ふと、不思議な心理状態になつてゐたに相違ありません。で、我々はさういふ場合へ行つたことがなくて、たゞ話のみを聞いただけでは、それらの人の心の中(うち)がどんなものであつたらうかといふことは、先づ殆ど想像出来ぬのでありまするが、そのウィンパーの記したものによりますると、その時夕方六時頃です、ペーテル一族の者は山登りに馴れてゐる人ですが、その一人がふと見るといふと、リスカンといふ方に、ぼうつとしたアーチのやうなものが見えましたので、はてナと目を留めてをりますると、外の者もその見てゐる方を見ました。すると軈(やが)てそのアーチの処へ西洋諸国の人にとつては東洋の我々が思ふのとは違つた感情を持つところの十字架の形が、それも小さいのではない、大きな十字架の形が二つ、ありあり空中に見えました。それで皆もなにかこの世の感じでない感じを以てそれを見ました、と記してありまする。それが一人見たのではありませぬ、残つてゐた人にみな見えたと申すのです。十字架は我々の五輪の塔同様なものです。それは時に山の気象を以て何かの形が見えることもあるものでありますが、兎に角今のさきまで生きて居つた一行の者が亡くなつて、さうしてその後へ持つて来て四人が皆さういふ十字架を見た、それも一人二人に見えたのでなく、四人に見えたのでした。山にはよく自分の身体(からだ)の影が光線の投げられる状態によつて、向う側へ現はれることがありまする。四人の中にはさういふ幻影かと思つた者もあつたでせう、そこで自分たちが手を動かしたり身体(からだ)を動かして見たところが、それには何等の関係がなかつたと申します。
これでこの話はお終ひに致します。古い経文の言葉に、心は巧みなる画師(ゑし)の如し、とございます。何となく思浮(おもひうか)めらるゝ言葉ではござりませぬか。
(後略)
手塚治虫『ジャングル大帝』からの連想。
「ブロッケンの怪」という言葉を知ったのは小学生の時。漫画雑誌の特集記事だったと思う。頻繁に特集されていたのは「怪獣」「妖怪」「メカ」「世界のふしぎ」など。
「大伴昌司」という名をしょっちゅう見かけた。小学校に「大友」という同級生がいたので「違う字の名もあるんだ」と知った。
・補足。
挿画(「さしえ」?)では、「小松崎茂」「石原豪人」などの名があったと思う。
・補足の追記。
「南村喬之」を忘れるところだった。